東京高等裁判所 平成4年(う)1194号 判決 1993年4月22日
主文
原判決を破棄する。
被告人を禁錮一年四月に処する。
この裁判確定の日から四年間右刑の執行を猶予する。
原審における訴訟費用は全部、被告人の負担とする。
理由
一 本件控訴の趣意は、弁護人羽柴駿提出の控訴趣意書に記載されたとおりであるから、これを引用する。
二 控訴趣意第一点(事実誤認の主張)について
1 所論は、要するに、原判決は被告人の過失により本件事故が起きたと認定しているが、それは次に述べるとおり事実誤認であるというのである。すなわち、原判決は、被告人が大型貨物自動車を運転して時速約四〇キロメートルで原判示交差点に差しかかつた際、交差点入口側の横断歩道の手前約四四・四メートルの地点で対面信号機が青色から黄色に変わつたのを認めたのに停止せず、漫然と同速度で進行を続けた過失により、交差点出口側の横断歩道を青色信号に従つて左から右に横断を始めたA(当時六歳)を左斜め前方約二六・五メートルの地点に認め急制動の措置を講じたが及ばず、自動右前部を同児に衝突させ、転倒した同児を轢過して死亡させたと認定している。しかし、被告人が対面信号機の黄色信号を認めた地点は、本件交差点の停止線の手前約二五・四メートル以内の地点であつて、その際直ちに急制動の措置を講じても、停止線の手前では停止できなかつたのであるから、このような場合、自動車運転者としては急制動の措置を講ずるのではなく、むしろそのまま進行して交差点を速やかに出ることが求められているのであり、被告人は、そのような判断によつて急制動の措置を講ずることなく進行したのであるから何ら過失はなく、その後実際に交差点入口の停止線を越えた地点に差しかかつた際、被害者とその連れの児童が横断歩道の信号が赤色信号であるのに横断を開始したため、これに気付いて急制動の措置を講じたが、その時はすでに本件事故を回避できない状況となつていたのであるから、この時点でも被告人には過失はない。結局、被告人には本件事故につき何ら過失がないから、原判決には判決に影響を及ぼすことが明らかな事実誤認があるというのである。
2 そこで検討するに、原審で取り調べた各証拠を総合すれば、次のような事実が認められる。すなわち、
(一) 被告人は、平成三年一一月一六日午前八時三〇分ころ、大型貨物自動車(以下、「被告人車」という。)を運転して、時速約四〇キロメートルで、東京都稲城市大丸五二七番地付近の川崎街道・稲城日野線を連光寺方面(北西方)から矢野口方面(南東方)に向け進行し、信号機により交通整理の行われている変形十字路交差点(以下、「本件交差点」という。)に差し掛かつたこと
(二) 被告人車は、全長七・八メートル(最前部から運転席まで約一・三メートル)、幅二・四九メートル、高さ三・五九メートル、最大積載量九二五〇キログラムのダンプカーであるが、本件当時、濡れた川砂を積載しており、実際に積載していた重量は、本件事故発生の約四時間後の計測によつても約二六八〇五キログラムであつて、三倍近い過載の状態にあつたこと
(三) 本件交差点は、変形十字路交差点であつて、<1>被告人車の進行する川崎街道は、北西から南東に走り、本件交差点付近の車道の全幅員が約一六メートルで中央分離帯で区切られ、被告人車の進行する側は、交差点の手前(連光寺方面)では三車線(幅員合計約九メートル)、交差点を越えた付近(矢野口方面)からは二車線(幅員合計約七・二メートル)となり、一方、対向車の側は連光寺方面及び矢野口方面ともに二車線で構成されていたこと、<2>川崎街道には、両側にいずれの方向に向かつても歩道が設けられ、植え込みを含めてその幅がそれぞれ約六メートルであつたこと、<3>交差道路は、被告人車から見て左方(北東側、多摩川方面)の道路がかなり東寄りに斜めに川崎街道と交差し、その幅員が約三メートルと狭く、山崎通りと呼ばれる右方(南西側、鶴川街道方面)の道路もやや西寄り斜めに交差し、その車道幅員が約六・八メートルであつたこと
(四) 本件交差点には、被告人車の進行方向からみると、<1>交差点の手前に停止線があること、<2>停止線に続いて川崎街道をやや斜めに横切る形の横断歩道(以下「連光寺側横断歩道」という。)が設けられているが、同横断歩道の連光寺側端は、車道北東側路端(被告人車から見て左方)において停止線から約七メートルの地点に、中央分離帯近くで停止線から約三・七五メートルの地点(司法警察員作成の平成三年一一月一六日付け実況見分調書(原審甲五号証、以下「甲五号証」という。)及び司法警察員作成の平成三年一一月一七日付け実況見分調書(原審甲二八号証、以下「甲二八号証」という。)の各現場見取図によつて概算すると、左から二番目の車線上は、停止線から五ないし六メートル位で横断歩道に差しかかることになるものと認められる。)に、車道南西側路端(被告人車から見て右方)においては停止線の延長線上にあり、また、同横断歩道の幅も北東側から南西側に行くに従つて狭くなつており、北東側において約九・六メートル、南西側において約四・〇五メートルであつて、矢野口側端に沿つて幅員約二メートルの自動車横断帯が設けられていること、<3>交差する車道の幅は、被告人車の進行車線上において二〇メートル位(計測結果を示す資料はないが、甲五号証、甲二八号証及び後記3掲記の被告人の供述によると、被害者が横断を始めたのを被告人が発見した地点は、被告人車の運転席が連光寺側横断歩道に沿う自転車横断帯を通過し終わるころであること、同地点から衝突地点までの距離(運転席を基準)が約二三メートルであること、衝突地点(被告人車の最前部)が次記<4>掲記の横断歩道の矢野口側端から約三・九メートル内側であることなどが認められ、また、次記<4>認定のとおり衝突地点付近の同横断歩道の幅が自転車横断帯を含めて八メートル前後と概算でき、被告人車の最前部から運転席までの長さが前記(二)認定のとおり約一・三メートルであるので、これらの数値に基づき車道の幅を概算すると、約二〇・二メートルとなる。)であること、<4>車道を通過すると、矢野口側にも川崎街道を斜めに横切る自転車横断帯及びこれに接する横断歩道(以下「矢野口側横断歩道」という。)があり、自転車横断帯の幅は約二・一メートル、横断歩道の幅は、前記のような連光寺側横断歩道のそれと逆に北東側から南西側に行くに従つて広くなつており、北東側において約三・九五メートル、南西側において約八・八メートル(衝突地点付近の幅は、甲五号証及び甲二八号証の各現場見取図によつて概算すると、約六メートルと認められる。)であること
(五) 本件交差点には、<1>川崎街道及びこれと交差する道路いずれにも車両用の信号機が設置されているほか、各横断歩道には歩行者用信号機が設置されていること、<2>川崎街道の信号は、時差式であり、矢野口方面に向かう車線すなわち被告人車の進行車線の青色信号が連行寺方面に向かう車線のそれより一〇秒長いサイクルとなつていること、<3>連光寺側横断歩道の歩行者用信号と矢野口側横断歩道の歩行者用信号とは同じサイクルで変化し、これらの歩行者用信号のサイクルは、矢野口方面に向かう車線の信号が青色表示に変わる七秒前から歩行者用信号が赤色表示となり、矢野口方面に向かう車線の信号の青色表示が七五秒、続いて黄色表示が三秒、赤色表示が二秒続く間、歩行者用信号の赤色表示が続き、こうしていわゆる全赤信号を二秒経た後に歩行者用信号が青色に変わり、青色表示が一六秒、七秒の青色点滅の表示を経て、赤色表示に戻るというものであつたこと
(六) A(昭和六〇年一〇月二七日生)(以下「被害児童」という。)は、本件当時、幼稚園児であつて、同じ幼稚園に通うB(昭和六〇年九月三〇日生)と連れ立ち通園の途中であり、本件事故発生時には矢野口側横断歩道上を北東側(被告人車から見て左側)から南西側に向かつて横断歩行していたが、北東側路端から六メートル位進んだころ、被告人車の右前部が衝突し、被告人車の右前輪に挟まれる形で約一一・七メートル引きずられ、そのため骨盤開放骨折を伴う腹部内蔵損傷等の傷害を負い、その結果、平成三年一一月一六日午前八時四二分ころ、原判示の稲城市立病院で死亡するに至つたこと
などの事実が認定できる。
3 被告人は、本件事故に関し、被告人車を運転して本件交差点に近づいた際、対面信号機の表示が青色から黄色に変わつたのを認めた地点については供述に変遷があるものの、被害児童及びBが被告人車の進行左側の歩道上、矢野口側横断歩道の北東側路端近くに立つているのを認めた以後、事故発生に至るまでの経緯ないし状況については、捜査段階から当審公判廷に至るまでほぼ一貫して、次のような供述をしている。すなわち、被告人は、被告人車を運転して、川崎街道を矢野口方面に向かつて時速約四〇キロメートルで進行し、本件交差点に差しかかつた際、対面信号機が黄色の表示に変わつたことは気付いたが、ブレーキを踏んでも停止線の手前では停止できないと思われたことからそのまま交差点を通過しようと考え、同様の速度で進行した、そして、甲二八号証の現場見取図<4>地点(被告人車の運転席の位置を示す。以下同じ。同見取図によると、停止線の手前約三〇メートルの地点である。)で、矢野口側横断歩道の左側歩道上に小さな子供二人が立ち止まつているのを発見したものの、そのときは急制動の措置などをとることなく進行を続けた、ところが、同見取図<5>地点(<4>地点から約三六・三メートル進行した地点であり、前記(四)<2>で概算した被告人車の進行車線における連光寺側横断歩道と停止線との間隔からみて、被告人車の運転席あたりまでが同横断歩道上に入つたころと認められる。)に至つたとき、その小さな子供の一人が同横断歩道上に駆け出して来たのを見たので、危険を感じ、アクセルを戻して急いでブレーキを踏み、さらに同見取図<6>地点(<5>地点から約八・三メートル直進した地点で、運転席あたりが同横断歩道沿いの自転車横断帯の矢野口側線上を通過したころと認められる。)に達した際その子供の残りの一人も駆け足で同横断歩道を渡り始めたのを認めたが、最大積載量を大幅に超える濡れた川砂を積載していたこともあつて、ブレーキの効きが遅くなかなか停止するに至らず、後から渡り始めた子供の姿が被告人車の前部ナンバー付近で見えなくなつたと思つたのとほぼ同時位に右前バンバー付近に「トン」というショックがあつた、そのときの地点は同見取図<7>地点(<6>地点から約二三メートル、<8>地点までが約一一・七メートルの地点であつて、矢野口側横断歩道上であるが、関係各証拠によると、<8>地点に停止した被告人車の最後尾は同横断歩道の矢野口側端を越えた付近と認められるので、これを前提に被告人車の全長や運転席の位置などに基づき概算すると、同横断歩道上の矢野口側端から約五・二メートル内側付近と考えられる。)であつた、ようやく被告人車が同見取図<8>地点に至つたとき停止したので、すぐ運転席から降りて状況をみると、子供がその右腰付近を被告人車の右前輪に挟まれたような状態で仰向けに倒れ、腰からかなり出血しているという状況にあつた、その子供に被告人車を衝突させた際の被告人車の右前部の位置は同見取図<×>地点(<7>地点から約一・三メートルの位置)であつたという趣旨の供述をしている。
そして、被告人車の進行左側の歩道上、矢野口側横断歩道の北東側路端近くに被害児童らの立つているのを認めてから、衝突後停止するまでの状況にかかる被告人の右供述は、本件交差点の状況、事故後路面に残るスリップ痕や血痕その他客観的状況とも矛盾せず、内容的にとくに虚偽と疑わなければならない部分もない。むしろ、後述のとおりいわゆる目撃証人であるCの供述が信頼できるものと考えられるところ、これとも整合性があると認められる。すなわち、被告人の右供述は、これを信用してよいものということができる。
4 次に、被告人が本件交差点における被告人車の対面信号機の表示が青色から黄色に変わつたのを認めた地点について検討する。
(一) この点まず、被告人車の進行状況を目撃した者の一人であるC子(当時三七歳)の供述をみると、同人は、検察官に対する供述調書中で、次のような供述をしている。すなわち、<1>自分は、事故当日の朝、稲城市立病院に行くため、自転車で川崎街道の北東側の歩道を矢野口方面から連光寺方面に向かつて来ていたが、本件交差点の多摩川に向かう道路を横断するとき、その道路には多摩川方面から白い乗用車がやつて来て交差点に入るところで停止し、まもなく自分の方の対面の歩行者用信号が青色になつたので、そのまま渡り、連光寺側横断歩道に沿つた自転車横断帯前の歩道上で、いつたん自転車を降りて、その自転車横断帯を通つて川崎街道を渡るため、信号待ちをしていた、<2>自分が自転車から降りたころ、お揃いのバッグから同じ幼稚園の園児と思える年長らしい大きい子と年少らしい小さい子の二人が、道路沿いの新聞専売所の前にある自動販売機にさわつたりしながら矢野口方面に行くのを見た、<3>自分が信号待ちをしている間に、連光寺方面のもう一つ先の交差点でカーブしているところから、三台のダンプが来ているのがわかつた、<4>そのうち、自分が立つている目の前を一台のダンプが通り過ぎて行つたが、自分と対面の歩行者用信号機を見ると、赤色から青色に変わつたので、自転車で助走しながら川崎街道を渡り始めた、<5>ところが、多摩川方面から来ていた先程の白い乗用車が勢いよく右折してきたので、自分は、横断歩道の真ん中辺りでいつたん止まり、同車が右折し終わつてからさらに助走をつけて渡つたが、南西側の歩道に上がり始めたころ、後方で荷物が落ちるような音がしたので、顔を右に向け振り返つて見た、<6>その時、矢野口側横断歩道の近くにダンプが止まつていて、その右前輪のそば(同横断歩道を越えた地点)に子供が倒れており、その子供の手がバッタリと倒れたのが見えた、また、大きい年長の方の園児が横断歩道の、連光寺に向かう車線の中央付近の地点で、ダンプの方を向いて戻りかけているのがわかつた、<7>自分は、ダンプと子供の交通事故だとわかり、電話をしようとしたところ、白いつなぎ服を着た男の人が交番に知らせなさいというので急いで自転車に乗り、数メートル離れた大丸派出所に駆け込み事故のことを知らせた、という趣旨の供述をしている。
さらに、C子は、原審第一〇回公判廷において証人として尋問を受け、検察官に対する右供述とほぼ同旨の証言をしている。同人は、検察官に対する右供述中とりわけ<4>に関する部分につき、検察官及び弁護人から繰り返し詳細に尋問されたが、この点、<1>自分は、自分の渡る方向の歩行者用信号を見ていたのであつて、その信号が青色に変わつたのを実際に見ており、気がついたら変わつていたというものではない、<2>自分の目の前を大きなトラックというかダンプというかそういう類の車が通り過ぎ、全くの一瞬で、通り過ぎたその車がまだ視界の中にあるぐらいのときに、歩行者用信号が青に変わつた、本当に全く一瞬のことで、最高でも一秒以内であり、一秒以上という長い時間ではないと思う、<3>今述べていることは、信号待ちの始めに連光寺方向から来るのが見えたダンプ三台のうちの最初の一台が通り過ぎたときのことであつて、後の二台はどうなつたか確認していないが、本件交差点に入るところで信号が赤になり、当然に止まつたものと思つていた、<4>自分は、その際自分の渡る方向の歩行者用信号に向かつてこれを見ていたのであり、川崎街道の車両用の信号などを眺めたり、とくによそ見をしたりすることはなかつたという趣旨の証言を明確に、一貫して行つている。
C子の検察官に対する供述調書中の供述及び原審第一〇回公判廷における証言(両方を合わせて、以下「C子の本件供述」という。)は、部分的に記憶のあいまいな点もないではないが、全体として具体的で一貫性があり、原審公判廷で証人として検察官及び弁護人から詳細に尋問された際にも供述内容にほとんど動揺がみられず、また、同人が信号待ちをしているとき目の前をダンプカーが通り過ぎ、その直後に自分の渡る方向の歩行者用信号の表示が赤色から青色に変わつたという目撃状況自体は、単純で錯覚の余地が少なく、内容的に誤りがあることを疑わせる事情は一切存在しない。そして、同人が本件事故を目撃した直後、自らいち早く近くの交番に通報に向かつた者であること、同人の子供が被害児童らと同じ幼稚園に通つていることのほかは、被害児童の遺族らとは面識も何のつながりもないこと、被告人とも縁故も利害関係も一切ないことなどを合わせて考えれば、C子の本件供述は、検察官に対する供述調書及び原審公判廷における証言とともに、その信用性は十分に肯定することができる。そして、C子の右供述と前記3掲記の被告人の供述を総合すると、C子が連光寺側横断歩道に沿つた自転車横断帯前の北東側横断歩道上で対面する歩行者用信号の表示が青色に変わるのを待つていた際、同人の目前を通り過ぎて行つた大型車が被告人車であつたこと、被告人車の最後尾が連光寺側横断歩道に沿つた自転車横断帯を通過した直後ころないしはその通過時点から最大限で一秒以内に、C子の対面する歩行者用信号の表示が赤色から青色に変わつたことが肯認できるのである。
(二) ところで、C子の見ていた連光寺側横断歩道の歩行者用信号と被害児童らの渡つた矢野口側横断歩道の歩行者用信号の表示は同じサイクルで変化すること、そして、被告人車の進行車線の対面信号機の表示が青色から黄色三秒を経て赤色に変わつた後、いわゆる全赤信号二秒を経て右各歩行者用信号の表示が赤色から青色に変わることは、前記2(五)認定のとおりである。いいかえると、C子の対面する歩行者用信号の表示が青色に変わる五秒前に、被告人車の対面信号機が黄色表示となつたと考えることができるのである。そうすると、C子の対面する歩行者用信号の表示が青色に変わつた時点における被告人車の位置は、右(一)認定のとおり一定範囲で認めることができるので、その五秒前における被告人車の位置が認定できれば、それが被告人車の対面信号機が黄色表示に変わつた際の位置である。そして、前記3記載のとおり、被告人は、本件当時の被告人車の時速は約四〇キロメートルであつたと述べているので、これに基づき、被告人車の対面信号機が黄色表示に変わつた際の位置が一応推認可能である。ただし、被告人が自分の車の速度が時速四〇キロメートル位であつたと述べること自体、被告人の感覚に基づくもので、本件交差点に至る前に計器を見て確認しているというものではないから、大幅な誤りはないにしても、厳密に正確であることの保証はないし、また、前記3記載の被告人の述べる距離関係についてもかなりの誤差を含む可能性が大きいのであるから、これから述べる数値が相当な幅を持つ概算の結果であることはいうまでもない。
C子の本件供述及び前記3掲記の被告人の供述並びに前記2認定の各事実を総合すれば、C子の対面信号が青色表示に変つた時の被告人車の位置は、被告人車の最後尾が連光寺側横断歩道に沿つた自転車横断帯の矢野口側端を越えた辺りから、最大限その地点から更に一秒進んだ地点までの範囲にあつたと考えることができるのは、以上認定したところから明らかである。そして、甲二八号証の現場見取図に照らすと、連光寺側横断歩道に沿つた自転車横断帯の矢野口側端を越えた辺りとは、ほぼ同見取図<6>地点に当たると認められるので、これを前提に、被告人車の右位置を推認すると、被告人車の最後尾が本件交差点の連光寺側の停止線から約一四・六メートルないし約二五・七メートル(時速約四〇キロメートルを秒速に換算すると、毎秒約一一・一メートルである。そして、同見取図<5>地点から被告人が制動措置をとり始めたことについては、同地点と同見取図<6>地点の距離からみて、この段階では考慮しないで差し支えないので、一秒進んだ地点を考えるには約一一・一メートルを加算すれば足りる。)交差点内に進んだ地点となり、被告人車の最前部はこれに被告人車の全長を加えた地点、すなわち右停止線から約二二・四メートルないし約三三・五メートル付近であると推認できる。そして、右地点に達する五秒前の被告人車の位置は、時速約四〇キロメートルで五秒間の走行した距離すなわち約五五・五メートルばかり連光寺側に寄つた地点である。この地点を連光寺側の停止線を基準に概算すると、被告人車の最前部が右停止線の手前約三三・一メートルないし約二二メートルに位置していたものと認められる。もつとも、先にも触れたとおり、この数値はあくまでかなり誤差のある数値を前提に概算したものであるから、相当の幅をもつてみなければならないことはいうまでもない。
以上から結局、C子の本件供述を前提とすれば、被告人が被告人車を運転して本件交差点に差しかかつた際、対面信号機が青色から黄色に変わつたことを認めた地点は、なお右のような誤差については被告人に利益に考慮することとして、連光寺側の停止線の手前三〇メートルないし二〇メートル前後の地点であつたと推認することができるのである。したがつてこの点、被告人が黄色信号を認めたのは連光寺側横断歩道の手前約四四・四メートルの地点であると認定した原判決には、その認定に誤りがあるといわなければならない。
(三) なお、被告人車の対面信号機が黄色表示に変わつた地点について、被告人は、平成三年一一月一七日に行われた実況見分における立会人としての指示説明並びに被告人の司法警察員に対する各供述調書及び検察官に対する同月二五日付け供述調書において、運転席が甲二八号証の現場見取図<3>地点すなわち連光寺側の停止線から約六〇・二メートル手前の地点であつた旨の指示や供述をしている。しかし、もし被告人車が右<3>地点に差しかかつた際対面信号機の表示が黄色に変わつたとすると、被告人車の時速は前記のとおり毎時約四〇キロメートルと認められるので、右停止線に達する前に五秒が経過し、対面信号機が赤色を表示するに至つていることはもちろん、川崎街道を渡る横断歩道の歩行者用信号も青色に変わるということになる。そうとすれば、前記のように信用できるC子の本件供述と矛盾するばかりか、被害児童との衝突状況などとも整合しなくなり、したがつて、被告人の右のような指示・供述は不合理であつて、信用することができない。
もつとも、被告人は、検察官に対する同年一二月五日付け供述調書において、信号が黄色に変わつたのを見たのは、もつと交差点に近いところであつたと供述を変え、原審公判廷においては、停止線から被告人車の二、三台分の手前であつたと述べ、当審公判廷においては、一台分では短過ぎるが、三台分では長過ぎ、二台分くらいの距離であつたという趣旨の供述をしている。被告人のこれらの供述は、現場における一定の目印などに基づいて述べたものではなく、漠然とした形で述べたものであつて、全面的に信用することはできないが、C子の本件供述によつて前記のように推認できるところとさほど大きな食い違いはなく、むしろ一定範囲でC子の本件供述を裏付けるものということができる。
5 さらに、被告人が対面信号機の表示が黄色に変つたのを見た地点が、被告人車が連光寺側の停止線の手前三〇メートルないし二〇メートル前後に差しかかつた際であるとの右4における認定を前提に、その時点で被告人が急制動の措置を講じていれば、被告人車が停止できたのはいずれの地点であつたか考える。この点、司法警察員作成の被疑者車両制動距離捜査報告書(原審甲三〇号証)によると、被告人車を実際に用いて制動距離について実験した結果、その制動距離は二四メートルないし二七・七メートルであつたことが認められるが、被告人は、本件事故当時、前記2(二)記載のように被告人車には多量の水分を含んだ川砂を最大積載量の三倍近く積載していた上、途中山道を下つてきて制動をかけ続けていたため同車の制動能力が減退した状態にあつたので、制動距離は四〇メートル位であつた旨述べており、また、前記3掲記の被告人の供述によると、本件事故当時、実際の被告人車の制動距離(空走距離及び滑走距離)は、甲二八号証の現場見取図<5>地点から同<8>地点間の距離すなわち約四三メートルであつたと認められる。そこで、本件当時時速約四〇キロメートルで進行する被告人車に急制動を施した場合、停止まで約四三メートルを要するとして、対面信号機が黄色の表示に変わつた地点で急制動の措置をとつたときに停止する位置を概算すると、その停止地点は、被告人車の最前部が停止線から約一三メートルないし約二三メートル進行した地点、すなわち最前部が連光寺側横断歩道の矢野口側端に達したころないし被告人車全部が交差する車道内に入つたころ(被告人車の最前部と矢野口側横断歩道に沿う自転車横断帯の連光寺側端との距離が一一メートル前後ある地点である。)と認定できる。
また、被告人車が制動措置を講じることなく本件交差点を通過しようとした場合について考えてみると、停止線から矢野口側横断歩道の矢野口側端までの距離が、前記2(四)認定の各地点間の距離に基づき計算すると、約四二・八メートルであるので、時速約四〇キロメートルで進行する被告人車においては対面信号機が黄色信号に変わつた地点から矢野口側横断歩道を抜けきるまで約七・三秒ないし約六・四秒を要し、途中で五秒が経過して同横断歩道の歩行者用信号が青色になることは明らかである。そして、同横断歩道の歩行者用信号が青色に変わつた時点における被告人車の最前部の到達地点をみても、交差する車道の中央付近ないし矢野口側横断歩道に沿う自転車横断帯の連光寺側端付近と認められる。
なお、所論は、B及び被害児童が、その対面する歩行者用信号の表示が青色に変わらないうちに駆け出していたと主張している。この点、Bは、証人Bに対する原裁判所の尋問調書において、自分はその対面する歩行者用信号が青色表示に変わつてから横断を開始したという趣旨の証言をしている。これに対して、被告人は、前記3掲記のとおり、被告人車が連光寺側横断歩道にさしかかつたころ(甲二八号証の現場見取図<5>地点)、左側歩道に立つていた子供の一人が矢野口側横断歩道を駆け足で横断し始めたのを見て、急制動の措置をとり、さらに、被告人車の運転席が連光寺側横断歩道沿いの自転車横断帯の矢野口側線上を通過したころ(同見取図<6>地点)、もう一人の子供が駆け足で矢野口側横断歩道を渡り始めたのを認めたという趣旨の供述をしており、被告人の右供述が一応信用できることは前記3で述べたとおりである。そして、被告人の右供述に、C子証人の供述を合わせて検討すると、前記4認定のとおり、被告人車がC子の目前を通過した直後にC子の対面信号機及びこれと同じサイクルによるBらの対面信号機の表示がいずれも青色に変わつたこと、被告人においてBが横断し始めたのを見たのは、被告人車がC子の目前に差しかかつた地点であり、またBに続いて被害児童が横断し始めたのを見たのも、C子の目前を通過中であつたことが認められる。そうすると、Bが横断を開始した時点では、いわゆる全赤信号の状況にはあつたものの、対面する歩行者用信号は、まだ青色表示に変わつていなかつた疑いが濃く、被害児童についても、青色表示に変わる直前に横断を開始した可能性があることは否定できないというべきである。しかしながら、以上認定してきた当時の客観的状況から明らかなように、被告人車が被害児童と衝突したときにはその歩行者用信号が青色表示であつたのであり、被告人が横断歩道上を通行する歩行者との衝突という事態の発生を避けなければならないことはいうまでもなく、その意味で、Bや被害児童が全赤信号の状態のときに駆け出したかどうかは、被告人の過失の有無に直接影響するものではない。
6 以上認定の事実関係に基づき、本件事故における被告人の過失について考えるに、所論は、自動車運転者は交差点に差しかかつた際、対面信号機の表示が黄色に変わつた場合、直ちに急停止の措置をとつても停止線の手前で停止できないときは、そのまま交差点を通過できるとの見解を前提に、本件において、被告人は、黄色信号に変わつたのを認めたとき急制動の措置をとつても、停止線を越えてしまう状況にあつたのであるから、本件交差点を通過しようとした被告人には過失はない旨主張している。この点たしかに、黄色の灯火信号の意味については、道路交通法施行令二条において「車両……は、停止位置をこえて進行してはならないこと。ただし、黄色の灯火の信号が表示された時において当該停止位置に近接しているため安全に停止することができない場合を除く。」と定めている(なお、本件の場合、停止位置とは、「停止線の直前」である。同条一項の表の備考欄参照)が、この規定は、黄色の灯火信号が表示された時点において、当該停止位置に近接しているためそこで安全に停止することができない場合に、停止位置を越えて進行しても道路交通法違反(黄色灯火信号無視等)にはならないと定めているに過ぎないのであつて、規定の文言上も明らかなように、停止位置を越えた場合そのまま進行して交差点を通過することができる旨定めたものではない。ただ、交通の現状においては、黄色信号の場合、全赤信号となつた時間内に通過できるのであれば、そのまま交差点を進行することが許されるという態度で自動車を運転をする者も稀ではないが、全ての場合に当然にこのような態度で交差点の通過が許されるものではない。しかも、被告人車が、全赤信号の表示中に本件交差点を通過し終えることができなかつたことは前記認定のとおりであるから、そのような理由で被告人が制動措置を講じなかつたことを合理化することはできない。
道路交通法上の義務はさておき、事故の発生を未然に防止しなければならない自動車運転者の業務上の注意義務という観点から考えると、前記認定のような状況下において、被告人が対面信号機の黄色表示を認めながら、急制動の措置を講じることなく、停止線を越えて進行する場合には、交差道路側の車両用及び横断歩行者用の各信号表示に従つて動き始める歩行者、自転車又は自動車が被告人の進路前方に立ち入る危険が十分に予想されるばかりか、右のように交差道路側の各信号が変わる直前においても、被告人側の対面信号が赤色の表示をしているのを見て、交差道路から車道交差部分に進入してくる車両や横断を開始する歩行者等もないとはいえないのが実情である。しかも、前記認定のとおり、被告人は、停止線の約三〇メートル手前において、すでに矢野口側横断歩道の北東側歩道上に、横断しようとして信号待ちをしているとみられる被害児童ら二人の姿を認めていたのであるから、同児らを含め横断歩道等を横断する可能性のある歩行者等又は車道交差部分に進入してくる可能性のある車両との衝突を避けるためには、黄色信号を認めた時点で、急制動の措置を講じても停止するまでに停止線を越えてしまう状況にあつたと認められる本件においても、被告人としては直ちに急制動の措置を講じ、できるだけ速やかに停止すべき注意義務があつたというべきである(なお、実際にその結果、停止線を越えて横断歩道上、自転車横断帯あるいは車道交差部分において停止し、横断歩行者や車両の通行の妨げになる事態が生じたときは、その事態に対応してさらに交通状況に注意しながら自車を前進又は後退させてそれらの通行の妨げとならないようにすべきことはいうまでもない。)。そうすると、これに反して、黄色信号を認めながら急制動の措置を講じることなく、漫然と本件交差点を通過しようとした結果本件事故を惹起した被告人には、過失があるといわざるをえない。
7 右6認定の被告人の過失について、本件訴因との関係を考えてみるに、まず、本件起訴状の公訴事実においては、「大型貨物自動車を運転し……時速約四〇キロメートルで進行中、進路前方には交通整理の行われている交差点が設けられていたのであるから、対面信号機の表示に留意しつつ進行し、もつて交通事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があるのにこれを怠り、同信号機の表示に留意しないまま漫然前記速度で進行した過失がある」との訴因が掲げられている。もつとも、右訴因の記載については、注意義務及び過失が漠然としたものであるとする弁護人から釈明の要求があり、そのため、検察官は、原審第一回公判において、右の「同信号機の表示に留意しないまま」とは、対面信号機の黄色表示にしたがつて、交通事故の発生を未然に防止する業務上の注意義務を怠つたという趣旨のものであり、具体的には、黄色信号に従つて、急制動の措置を講じる義務があつた旨釈明している。そうすると、本件における被告人の過失は、前記6で述べたとおり、黄色信号を認めた時点で、急制動の措置を講じても停止するまでに停止線を越えてしまう状況にあつたとはいえ、被告人としては直ちに急制動の措置を講じ、できるだけ速やかに停止すべき注意義務があつたのに、これを怠つたというものであると認められるのであるから、過失の態様においては訴因に掲げるところと何ら異なるものではない。すなわち、過失の態様それ自体としては、訴因と全く同一の事実を認定したものである。
ところで、原判決も、黄色信号に変わつたのを認めたのに停止しなかつたことが被告人の過失である旨認定しているのであるが、ただ、その前提となる事実が以上認定したところと異にする。すなわち、原判決は、右過失の前提として、被告人は本件交差点の入口付近に設けられた横断歩道の手前約四四・四メートルの第二車線上の地点で対面信号機が黄色信号に変わつたのを認め、同信号表示に従つて直ちに停車する措置をとれば、被告人車は交差点の手前で停止できたという事実を認定しているのである。この点、本件訴因自体には、被告人が黄色信号を認めた地点等について具体的な記載がないが、検察官は、当初は冒頭陳述において、「本件交差点の停止線より五〇数メートル(手前)の地点」と主張していたものの、論告では、証拠調べの結果によりこれを修正し、被告人は連光寺側横断歩道の「連光寺寄りの端の三三・三三メートル手前では被告人信号が青色から黄色に変わつたのを現認した」ことが認められるとし、これを前提に、黄色信号を認めた時点で急制動の措置を講じた場合に停止可能な地点についても、時速四〇キロメートルで走る被告人車の制動距離が二四メートルから二七・七メートルの間であるとして、被告人が対面信号が青から黄になるのを現認してすみやかに制動措置を講じていれば、被告人車は連光寺側横断歩道の停止線付近で停止できたと主張するとともに、本件事故当時被告人車両は過積載状態であつたから、最大限に見積もつても、被告人が対面信号が青から黄に変わつたことを現認して、すみやかに制動措置を講じていれば、おおむね連光寺側横断歩道上で停止できたはずである旨主張している。すなわち、検察官の主張は、必ずしも、被告人車が連光寺側の横断歩道の手前において、停止できることを前提にしていたのではなく、横断歩道上に進入して停止する場合をも想定した上で、対面信号機の黄色表示に従つて、交通事故の発生を未然に防止するため急制動の措置を講じるべき業務上の注意義務があり、被告人はこれを怠つた過失があるというものであつたと認められる。なお、当審においては、検察官は、さらに加えて被告人車が横断歩道よりさらに進んで車道交差部分にまで進入する場合においても、全赤信号の時間帯の範囲内において、前方交差点の通過が完了しえない場合には、急停止の措置を講じた上で左右道路からの進行車両・歩行者等の進行の妨害にならない位置まで前進し、あるいはいつたん停止後直ちに同位置まで後退するなど臨機の措置を講ずる業務上の注意義務がある旨主張し、この趣旨を明確にしている。
このように、本件訴因に関し、検察官は、過失の態様そのものについては、原審第一回公判において「黄色信号に従つて、急制動の措置を講ずるべきであつた」という趣旨であると釈明し、これを一定範囲に特定しているのであるが、その前提となる事実については、黄色信号に従つて急制動の措置をとつたとき、道路交通法施行令二条にいう停止位置の手前で停止できる場合のみならず、近接しているため停止位置を越える場合も含むという趣旨の、かなり広い範囲の主張をしているのである。そして、被告人側も、被告人がいずれの地点で黄色信号を認めたのか、また、黄色信号を認めた地点で急制動の措置をとつた場合、被告人車が停止するに至る地点はどこであるかなどをめぐつて、種々の主張をし、いわゆる反証を提出するなどしているのである。したがつて、被告人が黄色信号を認めた地点及び被告人車が停止できる地点について、当裁判所の判断は、原判決の認定と異なるとはいえ、この点当事者に攻撃防御の機会が与えられていなかつたという観点からとくに訴因の変更手続を要するものとは認められない。
以上要するに、本件においては、被告人が対面信号機の黄色表示を認めた地点で直ちに急制動の措置を講じても、連光寺側横断歩道、同自転車横断帯の手前では停止できず、あるいは車道の交差部分に進入する可能性のあつたことも否定できないのであるが、このような事実を前提に、前記のとおり急停止の措置をとらなかつたことが被告人の過失であるという認定も、本件訴因に掲げる事実と同一の認定であると考えられるのである。(なお、所論は、「交差点」を横断歩道及び自転車横断帯より内側の車道交差部分に限定した上で、「交差点」に進入する場合については原審でも主張されなかつた新たな主張であるというが、前記のとおり、被告人車が黄色信号に従わず停止線を越えて進行することの危険性は、交差道路から進行してくる自動車との衝突の危険にとどまらず、被告人車の進路と交差する横断歩道等を通行する歩行者、自転車との接触の危険も含まれることは明らかであるから、右のように交差点の定義を限定して、その内外において注意義務及び過失を異なるものとするのは妥当ではない。)
8 以上から結局、被告人が本件交差点の入口付近に設けられた横断歩道の手前約四四・四メートルの第二車線上の地点で対面信号機が黄色信号を表示していることを認めたとして、同信号表示に従つて直ちに停車する義務があると認定した原判決には、被告人が自動車運転者として急制動の措置をとる義務を負うにあたりその根拠となる具体的事実について、事実の誤認があるというほかない。すなわち、原判決には過失の前提となる事実について認定に誤りがあり、右の誤認が判決に影響を及ぼすことは明らかであるから、原判決はこの点において破棄を免れず、論旨は、右の限度において理由がある。
三 以上の次第で、その余の控訴趣意(量刑不当)に対する判断を省略し、刑訴法三九七条一項、三八二条により原判決を破棄し、同法四〇〇条ただし書により、さらに判決する。
(罪となるべき事実)
被告人は、平成三年一一月一六日午前八時三〇分ころ、業務として大型貨物自動車(最大積載量九二五〇キログラムのダンプカー)を運転し、東京都稲城市大丸五二七番地付近の信号機により交通整理の行われている交差点を、連光寺方面から矢野口方面に向かい、片側三車線の中央車線を時速約四〇キロメートルで直進しようとしたものであるが、同交差点の入口付近に設けられた停止線の約三〇メートルないし二〇メートル手前において、対面信号機の表示が青色から黄色に変化したのを認めたのであるから、停止線を越えて停止することになることは予想されたものの、対面信号機の表示に従つて直ちに停止措置を講じて速やかに停止し、交差する道路の車両用信号や横断歩道の歩行者用信号の表示に従い同交差点内に進入する車両等や横断歩道を通行する歩行者等との衝突などを未然に防止すべき業務上の注意義務があるのに、これを怠り、自車の対面信号機の信号表示に従わず、漫然前記速度で進行した過失により、折から、進路前方の同交差点の出口付近に設けられた横断歩道上を左方から右方へ横断を開始したB(当時六歳)とA(当時六歳)を左斜め前方約三四メートルないし約二七メートルの地点に認め、急制動の措置を講じたが、その際自車に最大積載量をはるかに超過する濡れた川砂を積載していたこともあつて、間に合わず、自車右前部を右Aに衝突させ、同児を路上に転倒させて、自車右前輪で轢過し、よつて、同児に骨盤開放骨折を伴う腹部内臓損傷等の傷害を負わせ、同日午前八時四二分ころ、同市大丸一一七一番地所在の稲城市立病院において、同児を右傷害により死亡するに至らせたものである。
(証拠の標目)《略》
(確定裁判)
被告人は、平成四年一二月二五日東京地方裁判所八王子支部において、公務執行妨害罪により懲役八月、執行猶予四年に処せられ、右判決は、平成五年一月九日に確定した。この事実は検察事務官作成の平成五年二月一二日付け前科調書及び当該判決書謄本一通により認める。
(法令の適用)
被告人の判示所為は、刑法二一一条前段に該当するが、右は前記確定裁判のあつた公務執行妨害罪と同法四五条後段の併合罪であるから、同法五〇条によりまだ裁判を経ない判示業務上過失致死罪について更に処断することとし、所定刑中禁錮刑を選択し、後記の量刑事情を考慮して、その所定刑期の範囲内で被告人を禁錮一年四月に処し、情状により同法二五条一項を適用して、この裁判が確定した日から四年間右刑の執行を猶予し、原審における訴訟費用は、刑訴法一八一条一項本文により全部被告人に負担させることとする。
(量刑の事情)
被告人は、車両等の交通が頻繁で交通事故発生の危険性の高い交通整理の行われている交差点に接近するに際し、左前方の歩道上に横断する可能性のある幼稚園児二名を認め、更に対面信号の表示が黄色に変わつたのを認めながら、いわゆる全赤信号の間に交差点を通過できるだろうと安易に考えて、自分の車に最大積載量の三倍近い濡れた川砂を積載しているためブレーキの効きもあまりよくない状態にあることも考慮せず、信号に従つて速やかに停止し、事故の発生を未然に防止すべき自動車運転者としての基本的注意義務を怠るという重大な過失を犯し、横断歩行者の安全を最大限に保護すべき横断歩道上において、登園途中の幼稚園児を撥ね飛ばして轢過し、死亡させるという悲惨な結果を招いたものである。とくに、被告人が、当時大幅な過積載をしていたことが、被告人をしてできるだけ一時停止を避けたいという心理にさせたことが窺われるとともに、他方では被告人車の制動能力を減退させ、二重の意味で本件につながつていることを軽視することはできず、その犯情はよくない。これに加えて、被告人は平成三年三月に速度違反により罰金刑に処せられた前科を有することを考えると、被告人の刑事責任は軽いとはいえない。
しかし、被告人は雇主とともに、被害児童の遺族に対して、原判決までに、保険により慰謝料の一部として一五〇〇万円を支払つたほか、当審に係属中の平成四年一二月に、同様に損害賠償金の残金として、二五〇〇万円を支払う約束で示談を遂げ、右金員をすでに支払い済みであること、被告人は、その後自らの負担により一五〇万円を遺族に支払つていること、これらの経過もあつて、被害感情もようやく和らぎ、被害児童の遺族は現在では被告人を宥恕する意思を表明していること、被告人の反省の態度、年齢その他、所論指摘のような被告人に有利な事情を考慮し、なお、前記確定裁判の項に記載のとおり、原判決後に飲酒の上公務執行妨害罪を犯して、懲役八月、執行猶予四年の判決を受けてはいるものの、本件は右確定裁判を受けた罪と余罪の関係に立ち、執行猶予を付することが許されるので、今一度社会内において更生の機会を与えることとし、前示のとおり量刑をしたものである。
よつて、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 松本時夫 裁判官 小田健司 裁判官 虎井寧夫)